Anachron
クレオパトラ

クレオパトラ

Egypt, 41 BC

エジプト最後のファラオ。三世紀にわたり国を治めたギリシア系王朝の最後の一人

役割
サポート
体力
15
生没
紀元前69年 – 紀元前30年8月10日または12日
出身
エジプト、アレクサンドリア
知られる業績
二十一年間エジプトをローマの手から守ったこと

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アクションカード12枚

歴史

クレオパトラ7世は紀元前69年、アレクサンドリアでプトレマイオス家に生まれた。アレクサンドロスの将軍たちが帝国を分け合って以来エジプトを治めてきたマケドニア系ギリシア人の一族で、身内を殺す長い習慣があった。十八歳で弟と並んで王位に就き、三年のうちに弟の宮廷に首都を追われ、それを受け入れる代わりに東の国境へ軍を集めに行った。プルタルコスによれば、王朝の中でわざわざエジプト語を学んだ最初の人物で、ほかにも数か国語を話し、人々が覚えていたのはその声だったという。

紀元前48年、ポンペイウスを追ってカエサルがアレクサンドリアに着くと、彼女は弟の衛兵をすり抜けて宮殿に入り、誰かに代弁される前に自分の口で訴えた。カエサルは彼女を支持し、続く戦争が彼女を王位に戻し、翌年に息子カエサリオンが生まれた。カエサルが殺されると、ローマ世界の東半分を握るマルクス・アントニウスと組んだ。この結びつきは二人の関係であると同時に、穀物と材木と金の話でもあった。エジプトは豊かなまま、彼女のものであり続けた。

オクタウィアヌスはその結びつきを「東方にかぶれたローマ人」という宣伝戦に変え、次に戦争に変えた。艦隊は紀元前31年にアクティウムで敗れ、翌夏アレクサンドリアが陥ち、アントニウスは自害し、彼女は紀元前30年8月10日か12日に三十九歳で死んだ。その方法は誰も突き止めていない。エジプトはローマの属州となり、七世紀のあいだそのままだった。彼女についてその後書かれたもののほとんどは、彼女を打ち負かした男たちの手によるもので、伝わったのはその版である。